今日は前回の続き娘の脳梗塞発症から入院について書いていこうと思います。
半身麻痺に気づきかかりつけ医へ
体調を崩し始めた12月11日から1週間経った12月19日土曜日の朝
娘の右半身が麻痺していることに気づきました。
急いでかかりつけの小児科へ。
思い返すと金曜日の夜中の謎の夜泣き以降回復傾向にある娘が今朝まで一言も喋ってなかったこと
昨日小児科を受診しに行くのに上着の袖に自分で右腕を通さなかった事
診療中右唇から涎を垂らして看護師さんに拭いてもらった事
お会計中ソファーで姿勢が崩れ右側に倒れてしまっていた事
全てがすでに脳梗塞を起こして麻痺していたからでした。
先生に麻痺している事を伝え診察してもらうと
すぐに大きい病院へ行って診てもらった方がよいと電話で連絡してくださり一度自宅へ戻り、夫にこの事を伝え息子を預けて娘と2人で紹介してもらった病院へ向かいました。
大変なことが起きてると思ってはいましたが、まさか脳梗塞を起こしているとまでは想像がつかず、頭のどこかで勝手に一過性のもので治療すれば治るものだと思っていました。
大きい病院での検査結果
病院について、土曜日だったので救急の方へ回り小児科の先生にこれまでの経過などを伝えました。
その後の流れの細かいことは忘れてしまったのですが、CT撮影をしてもらい結果が出るまで少し時間がかかるので病室に案内されそこで先生に
脳出血か脳梗塞を起こしている可能性があるので入院してもらいますと言われました。
しばらく意味が理解できず、頭は真っ白で心臓がドキドキしていたのだけは覚えています。
娘は検査や処置をするために採血や点滴を繋ぐための注射にかすれた声でしか泣けない娘を
ただただ抱きしめて一緒に涙を流すしかできませんでした。
CTの結果が出て先生からのお話は
一つ目は脳出血ではないのでおそらく脳梗塞でただMRIを撮影しないと詳しいことが分からない
二つ目は、脳が腫れているので今よりも腫れてくるようであれば頭蓋骨を開けて圧迫を解消する必要が出てくる
というお話でした。
恐ろしいことになってしまった・・・娘はどうなるんやろう・・・と思った記憶しかありません。
それから脳の腫れを抑える薬を点滴で入れてもらったり一通りの処置が終わり
やっと病室に2人っきりになれた時、ぐったり横たわってる娘に近づくと点滴を繋がれた左手を私の首に回して、ほっぺとほっぺをくっつけてすりすりしてくれました。
1日で色んなことがありすぎて私もクタクタでしたが
娘は私よりも、もっと怖かったり痛かったり不安で抱きしめて欲しかったんやなぁというのが言葉を話せなくなってしまった娘からひしひし伝わってきました。
それから私と娘の中で「もちもちしよう!」と言うのはお互いのほっぺたをくっつけるスキンシップになりました。
MRIの結果、予測通り右脳の太い血管で血栓ができ脳梗塞を起こしてしまっているので血栓を溶かして再度詰まってしまったその先の血管に血を通わせるためのお薬も入れました。
幸い脳の腫れはそれ以上になることなく引き、血栓もお薬で溶けて血管は再開通しだしましたがその間血が通っていなかった部分の脳細胞は死んでしまっていました。
毎日定期的に看護師さんや先生が回診にきてくれました。
1人でベットの上で座ることはできず、私の足の間に娘を座らせてもたれかからせるようにして座ったり、食事もつかえる左手の甲が点滴で繋がれて包帯でぐるぐる巻だったので私が食べさせていました。
ダメージを受けた脳の部分に言語を司る領域も含まれていて、その影響で自分が発したいと思っている音を上手く見つけられず違う音を発してしまったり
言葉が思い出せなかったり会話は難しい状態でしたが
こちらが言ってることは理解できるので意思疎通は取れていました。
でも夜になり娘が眠ってしまうと、同じような子供の情報がないかと探したり
なんでもっと早く丸1日も気づいてあげれなかったんか
もっとあれやこれやらしてあげたかった
10月に行ったUSJで最後にもう一回スヌーピーの乗り物に乗りたがったけど次の日幼稚園やしまた今度きた時乗ろうなんて言わず乗せたげたらよかった
そもそも娘はまたスヌーピーの乗り物に乗れるようになるんかな・・
「お母さん」ってもう一回呼んでもらうのはもう無理なんか・・
娘の声が聞きたい・・
などなど、後悔や悲しみこの先の不安ばかりの思考になっていました。
夫と過ごしているまだ5歳の息子のことも気掛かりで
元気にしてるかな?寂しくないかな?ご飯はちゃんと食べてるかな?
家族4人でまた一緒に家で暮らしたい。
当たり前だった日常がなんて幸せな事やったんやろう。とそればかり思っていました。
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